「NTSC、PAL、SECAMの特徴比較」

FourTwoTwoCompany <http://www.ftt.co.jp>
尾上泰夫 <onoe@ftt.co.jp>

放送方式は、国々で細かに違っている。
自分の国で隣の国の放送は映らない、と言うような形で普及して行ったのが実はテレビの戦国時代と言えよう。
その国の仲良しの図式があてはまる放送方式、仲間同士のつながりいわゆるテレビシステムという中で、大きな分け方というのが一つある。

例えばイギリス方式のPALというのは、西欧州方式もしくはベルギー方式それから中国、北朝鮮、ルーマニアも実はPALという形になっている。
フランス方式、ルクセンブルグ方式、ロシア方式をまとめてとなっているが、
実はこの中でも細かに変わっているので同じSECAMであっても受信して映像を見ることが出来ないと言う仕組みになっている。

どこの国のビデオを使うのか?ということは、実際放送の中継をやる人にとっては、大変なことである。方式を変換することで、コンバーターという機械が必要になってくる。
テレビ放送が大きく違っているのは性能の問題ではなくて、政治の問題で変わっているのだということだ。

それをもとに、どのような違いがあるのかというと、標準方式でAというのは、イギリス方式。BというのがCCIR方式このへんがPAL。
D方式というのが中国、北朝鮮、ルーマニアが使っているPALなわけで実は走査線数がみんな違う。

まずA方式のイギリスのVHFに関しては、405本の走査線で、やるような映像の仕組みになっており、CCIR方式については、625本の走査線でやるPAL方式。
ベルギー方式というのは、そこから若干の変更を加えた特に音声部分で変更を加えたところのVHFの方式でベルギー専用の方式である。
625本の走査線ではあるけれど、音声の変調方式がA3という形をとっている。いわゆるCCIRのところのF3という50KHZの音の変調に比べまた違った方式をとっているということで、互換性はない。
またD方式をとるPAL中国、北朝鮮、ルーマニアは、625本の走査線に関してやはりF3の変調を持っている。

基本的にこれはCCIR方式に近い形になっているわけだけど映像の帯域幅が実はCCIRが5MBに対し、中国、北朝鮮、ルーマニアは6MBとなる。

チャンネル幅に関してもCCIRが7MBに関して、中国、北朝鮮、ルーマニアに関しては8MBと言うように微妙に変えて周波数をとることでテレビが映らないような仕組みになっている。

一方SECAMに関しても同じで、E方式のフランス方式SECAM、F方式のルクセン方式。それからロシアポーランド、チェコスロバキアに関してのK方式。
フランスのUHFのモナコなどで使われることのL方式などというかたちでSECAMも分かれているわけだけどこれも周波数だけでなく走査線が全く違う。

フランスのE方式だと819本で結構高密度な走査線数をとる形になる。819本の走査線に対してそれぞれの違いとしては、実際にチャンネルの帯域幅は、フランスでは14MBヘルツをとり、ルクセンブルグ方式は7MBヘルツということで、全く帯域幅が違うそのSECAMに対してはロシア、フランスのUHFに関しては625本の走査線である。

今までは、819本の走査線だったが625本の走査線数でという形になっている。ロシア、ポーランド、チェコとフランスのUHFの違いとは、これは、音声延長方式の違いで、わずかだが、絵は見えるけれど、音は聞こえないというような格好になっている。

NTSCというのは世界の中のホントに一部で見える方式でアメリカ、日本、台湾、南の韓国それからフィリピンがこれにあたる。
これはMという方式を使っている。525本の走査線と言うことは良く知られている。

アルゼンチンやブラジルもPAL方式だが、はそれぞれM方式N方式という形で525本の走査線、625本の走査線それぞれがまた違う走査線を作っている。

放送方式が違うと言う事で、何のメリットがあるのか?というと、特徴自体というのはテレビを映すためのパラメーターが違うと言う現象で、一見、走査線が多いほうが、画質が良さそうには見えるけれど、周波数の帯域が狭く、映像をつくる為の回路に対して画質のことを念頭に置いているわけではないのであまり変わりがないのが、実状である。
大きな違いというのが、政治の問題で、隣の国に情報を見せたくない、隣の放送を国民に見せたくない、ということを実現するためだけの事である。
技術的な話しの特徴ではない。

コラム
国民に対して、影響を与える力を一番もっているのがメディアとしてのテレビ局である。だからこそテレビ局が重要視されている。
ヨーロッパは特に国境をこえた隣の国というのは、敵対をする国、侵略をする、される国という関係性が強い。
同盟国としては対して気にならないが、嫌っている国の文化というのは、受け入れたくない。当然その国の文化を自分の国の国民に見せたくない、聞かせたくないという考え方になる。
そうなると放送の方式がみんな違っている方が便利である。